「上手い」は「偉い」なのか?

e-Sportsなどと言われ、品格()が問われるようになってきたゲーム界隈ですが、
そもそもゲーム界隈において、品格のあるプレイヤーとは何なのでしょうか?
それを紐解く一つのオカルト手法として、「偉い」を分析しようと思います

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「偉い」とは

一般的な「偉い」は、2種の意味合いがあると考えます

一つ目は、「人間性が立派な人間であること」です
二つ目は、「発言力が強く、横柄な態度を取っても無下にされないこと」です

今回は、一つ目の要素については議論をしません
実績が伴っていれば疑いようのない品格の持ち主でしょうし、
実績が伴っていないのであれば、善良な1プレイヤーに過ぎないからです

 

「上手い」から「偉い」という幻想

以前、他人のPTに誘われた際、尊大な態度のプレイヤーがいました
僕に対しては部外者なのでプレイについてはノーコメントでしたが、
初対面で敬語を使わず高圧的であり、チームの雰囲気も非常に暗かったです
そのプレイヤーが抜けた後、想定通りの評価がPTでされていました

恐らく、彼は「上手い」から「偉い」と認識していたのではと思います
また、「正論」が「万人の求めていること」だと思っているタイプかもしれません
彼の「正論」は、ワイワイ楽しむこのPTにおいては不要だったのです

「偉い」が「他人を蔑ろにしてもいい権利」と捉えるのであれば、
きっとそのPTにおいて、その人は「偉そう」なだけで「偉く」なかったのだと思います

本質的には、彼はこのPTにおいては、
「偉そう」というのを許容する価値が無い、と判断されたのでしょう

 

「上手い」から「偉い」という正論

競技性の高いゲームにおいて、実力は「競技として真剣に取り組む人間」にとって、
最も価値のある判断指標となるはずです

発言の信憑性に始まり、尊敬に足る人間かどうか、
教えを乞うべきか否かなど、実際判断にあまり関係の無い部分にまでも及びます

そして、そのような人間にとっては上記プレイヤーはきっと「偉い」のではないでしょうか
「偉そう」なのを許容する価値がその人間にとってはあるからです
どっぷり漬かっている人間ほど、「偉い」という評価になるのです

きっと、極めて上昇志向の高いPTであったならば、
彼を「嫌い」だと思いはしても、「偉そう」でいることを許容していたのではないでしょうか

 

「上手い」は「偉い」に対する僕の回答

このような議論が拗れるのは、いろんな理由があるかと思いますが、
結局は上記2パターンの人間を区別せず、同列に議論するからだと思います

大衆に向けたビジネス化をするならば、コミュニティの外からの評価が増えます
結果、「真剣にやっている人間」よりも「真剣にやっていない人間」の方が圧倒的に多くなります
それゆえ、自然と「上手い」は「偉い」ではないという評価に収束するのではと考えます

ただ、ひたすらに競技として技術力を高めてきた、
コミュニティを牽引してきたプレイヤーにとっては、好き嫌いあれどきっと「偉い」のです

 

この乖離こそが、e-Sportsにおける「品格()」に繋がっているのではないでしょうか?

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